嵐が2020年いっぱいで活動休止することになった話。
去年全然更新できなかったから…と思ったら、今年は書けと言わんばかりにネタが提供されて困惑しております。
話ぐちゃぐちゃで読みにくさしかない文章になってしまうけれど、今の気持ちを残しておきたいから書きます。
2019年1月27日。
嵐が2020年12月31日をもって活動休止となることが発表されました。
ネットニュースを見た家族から聞かされて、また適当な記事に振り回されて…なんて思いながら開いたら「公式サイトで発表」の文字が飛び込んできて、慌てて自室へ行ってイヤホンつけてFC動画を再生しよう…と思ったら動画を再生する前にメッセージの上4行が目に入ってきて血の気が引いた…。
動画については有料ページの話なので割愛するけれど、智くんが話し終えて、4人が話し始めた時に「これは夢じゃないんだ…決まってることなんだ…」というのがじわじわ現実味を帯びてきて涙が溢れてしまった。
その後、20時から記者会見があると情報が入ってきた。見たいけど見たくないしでも見ておきたいけど怖かった。あんな悲しい顔してる5人をテレビで見たくないと思ったし、活動休止なんて夢であってほしかった。
結果として、黒スーツでお葬式会見ではなく、嵐らしい前向きでカッコいい好きが詰まった会見だったから本当によかった…
会見の場にはいつもの嵐がいた。冷静でファンへの思いに対して信頼が厚い潤くんと、変わらない優しさと笑顔で場を和ませてくれる相葉くんと、敵を賢く鮮やかに倒しながらみんなを守ってくれる櫻井くんと二宮くんが、智くんを包み込んでいた。いつも通り、いや、いつも以上にカッコよくて嵐らしさが爆発してた。どうだ!これが嵐だ!!!!!って胸を張れる大好きな5人がいた。
この会見があって、少し前向きになれた。
まだ全てを受け入れることはできないけれど。
心の準備にはまだまだ時間が掛かるけれど。
現実を受け止めきれてないから今はまだ余裕が残ってるだけだと思うけれど。
最初、活動休止が事実だとわかったとき、私は「は?????」と叫んだ気がする。口悪いです…。口癖です…。
信じられなかった。信じたくなかった。
この幸せがいつまでも続くことはない。これは当たり前じゃない。いつか終わりが来る。ということは重々承知してるつもりだった。
でも、もしそうだとしても、それは私が結婚して子どもを産んでおばさんになった頃の話だと思ってたし、もしかすると嵐はいつまでも5人で笑っていてくれるんじゃないかと思っていたのも事実ではある。
思っていたよりも随分早く向き合うことになった嵐の終わり。
15周年の時にもう大丈夫かなって思ったのに…
あれから割とすぐだったのか…
あの時もあの時も嵐はこのこと抱えてたの…
あの言葉は、あれは、これを踏まえてだったの…
休みたいネタもう笑えないじゃん…
仕事入らないんじゃなくて入れてなかったの…
5人で笑ってる姿が見れなくなるの…
5人のパフォーマンスが見れなくなるの…
嵐の供給がなくなっちゃうの…
4人はこれからどうするの…
でも、辞めようとしてたところを無理矢理デビューで20年…長かったよね…
4人を嵐を好きになってくれて嵐でいてくれてありがとう…
それでもやっぱり、今まで通りとか言われてもそんなのできないよ…
いろんなことを思った。もちろん智くんのことを嵐のことを嫌いになるはずはないから、驚きと悲しみと寂しさと、納得。それらから出てくる思いばっかり。怒りは1ミリも出てこなかった。
1人でもしたくない人がいたらしない。少数派の意見を大切にする。みんなが納得できることしかしない。
嵐ならこうするよねって理解できてしまうから、それが私の大好きな嵐だから、つらい。しんどい。
前を向こうとしている人がたくさんいる中で、こんなこと言ってしまったらいけないのかもしれないけれど、あえて書きますごめんね。
私は智くんが帰ってくることはほぼないと思ってる。
4人もそれをわかってる。
言葉にしないだけでそう思ってる人がたくさんいることもわかってる。
櫻井くんが、LINEが来た時に意思が固まってると思ったと言ってたように、私もFC動画と会見から智くんの意思の強さを感じた。それに、智くんは心に決めたらやり抜く頑固な人であることも知っている。
事務所をも辞めようとする覚悟を決めてたんだもん。
そこまでしなくてもいいのかなって彼を納得させることができた4人が本当に凄いと思う。
5人で話し合った結果、嵐をなくしてしまわないように、守ろうとしてくれている。そこに嵐は着地した。そのことが何よりも嬉しくて幸せで、救われる。
またいつか。
ほぼないと思いつつも、もしかするとを期待する彼らと私たちの前を向くための合言葉だと思ってる。
ずるいくらいに優しい人たちだね。
さて。
ここからは、私の話。
嵐は私の人生の救世主です。
嵐がいなければ今の私はいません。
小学校卒業が近づいた頃、私が笑ってる写真を見たクラスメイトから「あんなに笑うことあるんだね」と言われたことがある。私ってそんなに笑ってない?とショックを受けたけれど、確かにどの写真を見ても笑ってない。
思い返せば、4年生から小学校に行くのが毎日憂鬱だった。何も楽しくなかった。朝、学校に行きたくなくて、頭が痛いって毎日登校を渋った。心配した母が病院に連れて行ってくれてCT撮ることになった時は、なんか大事になってしまったと罪悪感でいっぱいになったけれど、学校行きたくない頭痛いって思ってると本当に体調悪くなるのも事実ではあるんだよね。
別にいじめられていたわけではない。友だちがいなかったわけでもない。多分私が一方的に人に対して心を閉ざしていただけ。
その理由はいろいろあるけれど、そのひとつに芸能情報・テレビに疎いがために会話についていけないというのがあった。
21時には寝なきゃいけない私はドラマの話なんてされてもさっぱりわらかない。田舎の長女は雑誌を買うということも知らないし、ネットで調べるということも知らないので、情報収集のしようもない。
「赤と亀どっちが好き?」と聞かれて、この子はなんてトンチンカンな質問をしてくるんだと思ってたら、後々赤西くんと亀梨くんだったことを知ったり。F4だったら誰が好き?って聞かれて知りもしないのにみんなに合わせて花沢類!って言ったりする毎日。まあ、もちろんボロが出るわけで、いつしか周りの友だちが減っていった。今思えば、素直に見てない、知らないと言って教えてもらえばいい話なのだけどね。
そんなこんなで2008年。中学1年生。合唱コンクールでOne Loveをクラスで歌うことになった。担任の先生がとても熱い先生で、絶対優勝しようと毎日朝夕2回は歌った。歌詞のテストも何回もした。おかげさまでOne Love完璧に歌える(笑)
結果はというと、私は本番前日の夜に虫垂炎になって当日欠席(笑)クラスは無事優勝。
この時コピーして配られた歌詞カードにいたイケメンの名前が櫻井翔ということを知り、自由に使うことができるようになったネットを使って櫻井くんや嵐のことをたくさん調べたり、21時に寝ることが不可能になったことを利用して、寝る前にこっそり宿題くんやZEROを一瞬だけ見てみたりするようになった。
それでも"好き"が家ではまだ言い出せなくて、2009年に嵐の初紅白を吸い込まれるように見ていたら、ジャニオタの叔母が「これ貸そうか?」と5×10のアルバムを渡してくれた。早速車で流してもらったら母がいろんな曲を口ずさんでいて「え?知ってるの?」と嬉しくなる。(私が世間知らずすぎるだけです)私の好きという気持ちが開花した出来事だった。
そこからは、今まで頑張って貯めてきたお金でiPodを買って、嵐の曲を聴くようになった。今まで知らなかったことを知れるのが楽しかった。嬉しかった。自分の意思で何かをするということが私にとってすごく新鮮だった。ワクワクした。
そして中学3年生。小学生の時に「あんなに笑うことあるんだね」と言ったクラスメイトに「よく笑うようになったね変わったね」と言われた。すごく嬉しかった。相変わらず人に心を閉ざして狭い世界で生きてたけど、嵐を知って好きになってから笑うようになったらしい。
高校は、好きなものが好きと堂々と言えるような雰囲気のところだったので、それはもう私の嵐愛、というよりかは、今まで抑えられていた私自身が解放されて、暴走機関車のごとく暴走し、嵐愛を爆発させ、ヲタクを極めていきました。
それでも嵐よりは学校と部活を優先していたので、吹奏楽部だった私のパフォーマンスを見てくれた友だちから「楽器吹いてるのもめちゃくちゃかっこいいけど、やっぱり嵐の話してる時が一番幸せそうでキラキラしてる(笑)」と言われた時はちょっと悔しかったけど盛大に笑ったよね(笑)
嵐を好きになって、冗談抜きで私の人生は変わった。
笑えるようになった。
自分の意思を持てるようになった。
世界が広がった。
友だちが増えた。
好きなものが増えた。
毎日が楽しいと思えるようになった。
心の支えができた。
モノクロの世界から、色鮮やかな世界へと私を連れ出してくれたのが嵐。いろいろな世界を見せてくれて教えてくれたのも嵐。
私にはないもの、足りないもの、欠けているもの、欲しかったものをたくさん持っていて、それを与えてくれた嵐。
本当に本当に嵐には5人には感謝の気持ちでいっぱいです。
心の準備に、感謝の気持ちを伝えるのに、私たちに与えてくれた誠意と愛の2年間。大事に大事に過ごしていきたい。
今までも、今も、これからも、ずっとずっと。
嵐が大好きだよ。